こんにちは、折原です。
今日は昨日に引き続き、徳川家の性事情を、と思いまして。
今回は、歴代将軍のエピソードやら武勇伝やらを中心に紹介していきたいと思います。
まず、3代将軍家光。
彼は
ガチホモだったらしいです。
あ、
ガチホモ=ガチゲイですね。
戦国武将自体が
男色ばっかりだから
家光もその感じが抜けなかったんでしょうね。
でも将軍が
ガチホモ=徳川家存続の危機ですよねわかります。
もう結構前になっちゃいますが、
大奥で
ガチホモは駄目だ許せんけしからん
子作りしろ!
みたいな表現されてた気もしますが、
この時代の
ガチホモと現代文化での
ガチホモの捉えられ方は完全に異なっているので、
「いやまてそれが違うだろjk」って言いたい感じでしたね。
家光の
ガチホモっぷりはなかなか伝説レベルらしく、
中奥に100人の男妾を待てせてただの、
町の若衆を城に入れて乱交だの、
色々な
ガチホモ伝説が囁かれている家光ですが、
受けか攻めかと言えば受け、
要するにネコだったらしいです。
ここまでくるとただの
クソビッチゲイですね。
それでも、何だかんだで家光が本当に愛した人はいたらしいですね。
まず一人目が3歳年下の小姓
酒井重澄。
酒井重澄は下総生実2万5000石を与えられて
大名となるほどの大出世を遂げたそうです。
二人目は徳川家の兵法師範柳生宗矩の息子にして、
柳生十兵衛の弟である
柳生友矩。
柳生友矩は相当なイケメンだったそうで、
父親の柳生宗矩より出世させてもらえる約束をしたそうですが、
それが気に食わぬ父に引き離さえれたそうです。
そして周りの人が色々頑張って女の良さを教えようとしたらしいです。
それでもそこまでしたところで家光の
ガチホモは治らなくて、
ギリ両刀遣い、要するに
バイになれたらしいです。
まあ結局どっちもいけるなら
ガチホモは
ガチホモでもバイだろ!
と思います。
そして正室との間に子供ができなかった家光は、
町娘出身のお楽の方との間に無事、子供が出来たそうです。
この子供が後の4代将軍・家綱だそうです。
めでたしめでたし。
徳川家歴代将軍のエピソードをまとめようとしましたら、
良い感じに家綱が生まれましたので家光編はこれでおしまいとさせていただきます。
番外編とかやるかもしれませんねもしかしたら。
最後までお付き合いいただきありがとうございました!
宜しかったら
ブログランキングの投票にご協力お願いします。